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シン・ニホンの著者である安宅和人氏が先月提唱した「開疎化」という聞き慣れないワード。これからwithコロナの時代が続くことを想定したとき、社会が向かう方向として非常に的確な表現であると感じています。今回は現代社会のジレンマの中で、スポーツ界がこのNew Normとどう向き合っていくべきなのかを考えたいと思います。
開疎化と言っているのは、一言で言えば、Withコロナ社会が続くとすれば、これまで少なくとも数千年に渡って人類が進めてきた「密閉(closed)×密(dense)」な価値創造と逆に、「開放(open)×疎(sparse)」に向かうかなり強いトレンドが生まれるだろうという話だ。 –安宅和人
都市生活と開疎化
「開疎化」とか「withコロナ」とか、安宅氏の新しい言葉を生み出すセンスにまずは脱帽していますが、その仮説には非常に説得力があります。これまで人類の文明と共に発展して来た「都市」、そして多くの人類が慣れ親しんで来た便利な「都市生活」を現代人が捨てることは出来ないと思いますが、この2020年をターニングポイントにして、潮目が変わって行く可能性は高いだろうと感じています。安宅氏はこれまでにも「風の谷を創る」という構想を語っていますが、ITインフラの発展がそれを可能にし、今回の新型コロナウイルスの大流行が図らずもその流れを加速させるきっかけともなりそうです。この「開疎化」も一連の新型コロナウイルスの影響を受け、必然の流れとして社会のNew Normになっていくことでしょう。
この論点は社会生活全般に関わることですが、当然ながらスポーツを含むエンタメ産業も例外ではなく、この業界の今後を占う上でも重要な未来予測だと思います。都市が持っている機能に対して、「開疎化」というのは正反対の概念で、特に1試合で数万人を集客するような「観るスポーツ」に関しては大きな課題となるわけです。また「するスポーツ」についても密集した公園や皇居外周でのランニング、そしてトレーニングジムなども都市のジレンマとなっていく可能性があります。スポーツをするために、出来るだけ「開疎な空間」を求め、場所を変える、時間をずらす、というのは考えられうる人々の行動のNew Normとなりそうですね。
公衆衛生とスポーツ
日本国内ではまだまだ予断を許さない状況ですが、首都圏の1都3県と北海道を残し、緊急事態宣言が解除され、ステップを踏みながら社会的な活動を再開していく段階に入りました。5月に入ってから急激に感染が拡大しているブラジルを中心とした南米各地の状況は心配ですが、ここ数ヶ月の隔離生活を行ってきた各国でもそれぞれの出口戦略が示され、スポーツに関する指針も出始めていますね。日本国内では、5月14日に日本スポーツ協会が「スポーツイベントの再開に向けた感染拡大予防ガイドライン」を公表しています。
隔離生活期間中にも身体を動かすことの重要性は説かれ、WHOとIOCはスポーツと身体活動を通した健康増進に関する覚書を結んでいます。また、こうした身体活動の啓蒙については、多くのアスリートたちも世の中に影響を与えてきました。一方、隔離生活から解放された後、その反動でスポーツ施設に密集が発生することも予想されるため、それを回避しなければならない。ここにもジレンマがありそうです。

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◾️米国・CDCの「DO or DON’T」
こうした状況をコントロールするため、州ごとに段階的にLockdownが解除されている米国では、CDC(Centers for Disease Control and Prevention=疾病管理予防センター)が公園やレクリエーション施設に関する指針を「DO or DON’T」の形式でわかりやすく示しています。ここでも繰り返し強調されるのは「ソーシャルディスタンス」そして「開疎な空間」をつくることです。特にコンタクトが発生するバスケットボール、野球、サッカー、アメリカンフットボールなどは明確に「DON’T」にカテゴライズされる一方、プールでの水泳は「DO」にカテゴライズされています。塩素等で消毒されたプールの水を介した感染確率は極めて低く、ソーシャルディスタンスを保つことを前提に、水泳は健康を保つための身体活動として推奨されています。
◾️英国の詳細なガイドライン
また、英国では3段階の制限解除のステップを示していますが、スポーツ及びレクリエーションに関しても「一般向け」、「指導者向け」、「施設管理者向け」、「競技者向け」と4つのステークホルダーに分類された詳細なガイドラインを公開しています。一般向けのガイドラインでは、最大でも2名での活動に限られ、基本的には個人での身体活動に限定されることが示されています。競技者向けの競技者とは、スポーツをすることで生計を立てている東京2020大会、北京2022大会のオリパラ強化指定選手、またコモンウェルス大会(バーミンガム)の強化指定選手と定義していて、ここでも2段階での制限解除を示しています。ざっくり言うと、ステップ1では、ソーシャルディスタンスに配慮した個別トレーニングの再開。ステップ2では、グループでのトレーニングの再開。ですが、ステップ2への移行は専門家の意見を聞きながら慎重に判断していくようです。
■都市型スポーツとストリートカルチャー
ちょっと話題は変わりますが、オリンピック東京2020大会では、スケートボード、BMXフリースタイル、3×3 バスケットボールなどアーバンスポーツと呼ばれる競技種目が実施される予定です。若者との繋がりが強いストリートカルチャーともオーバーラップするこれらの競技は、公園や街中など比較的狭いエリアでも実施出来る都市型スポーツとして捉えられています。しかし、こうしたストリートカルチャーも他のスポーツ同様に公衆衛生に配慮せざるを得ない状況が生まれるでしょう。それぞれのスポーツが、世間のレピュテーション(評判)を保つためにも、関わる人間ひとりひとりに責任ある行動が求められる時代がやってくることになりそうですね。
アスリートのトレーニング拠点
さて、ここまで見てきた通り、トレーニングやレクリエーションの環境にもソーシャルディスタンスが求められるのがNew Normとなるのは避けられません。問題は「この状況がいつまで続くのか?」というところですが、この答えは私にはわかりません。この点については、公衆衛生の専門家に任せることにしましょう。
対人と言う観点でのソーシャルディスタンスは、安宅氏のいう開疎化で言う「開」の方に当たると思います。ここはミクロな観点で間違いなくスポーツにも関わってきます。一方、「疎」の方はというともう少しマクロな観点も必要になってくるかもしれません。人口が密集した大都市にリスクが大きいとすれば、中央に一元化された強化拠点の地方分散化の議論や、プロ選手がFA移籍などでフランチャイズを選ぶ際の判断材料にも加わる可能性もあります。逆に郊外にキャンパスを分散してきた大学の都心回帰の動きも鈍化し、郊外キャンパスが再評価されるかもしれないですね。

味の素ナショナルトレーニングセンター
日本国内においても、多くの競技で代表レベルのトップアスリートの強化拠点となっている国立スポーツ科学センター(JISS)や味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)は、医食住の機能を兼ね備えた国内随一のトレーニング環境であることは間違いありません。ここに多競技のアスリートや関係者が集まることで、開所以来それまでとは比較にならない横の繋がりも生まれ「Team Japan」の機運が醸成されて来たのは確かです。NTCの早期再開については、萩生田光一文部科学大臣、鈴木大地スポーツ庁長官とトップアスリートの間で意見交換の場が持たれました。1年延期になったとはいえ、選手たちにとって準備の猶予はそれほどありません。1日でも早く、少しでも充実したトレーニング環境を取り戻したいというのがアスリートや関係者の正直な声だと思います。
ただ、ここにも「都市化」と似たような現象が起きています。New Normにおいて、こうしたリソースや機能の集中は、利点だけでなく欠点ともなり得る。英国のガイドラインが示すように、第一段階では個別トレーニング中心とするならば、こうしたトレーニング環境を考える上でも「開疎化」が求められる可能性はありますね。今後、地方分散を含む複数の強化拠点という議論も生まれていくのかもしれません。
開疎化がもたらすスポーツの未来
開疎化というのは、ともすればディストピア化する社会とも揶揄されそうですが、このNew Normに適応していくヒト、コト、モノがこれからの社会をリードしていくはずです。
生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。(It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.) – Charles Darwin
ダーウィンの名言にもある通り、変化に最もよく適応したものが生き残る。そういう意味では、先日紹介したスポーツ2.0のような時流を捉え、デジタル化に適応していくことはスポーツ界にとって不可欠な次の一手であることは間違いありません。このサイトでも紹介してきた通り、既に動き出しているスポーツ・団体も少なくありません。
デジタルとフィジカルのバランスをどう考えて行くか。ここに開疎化がもたらすスポーツの未来がありそうです。今すぐに「課題を認識し、考え、動けるか」ということが、5年後、10年後には大きな差となっている。そんな極めて重要な転換点に私たちはいるのではないかと思います。