Breaking Through the Overgeneralization | デュアルキャリアを考える②

約7ヶ月ぶりの投稿となった前回の記事では、デュアルキャリアというコンセプトとトップアスリートが考えるべき人生トータルでのキャリアを考えました。読み返してみると、我ながらまとまりがなくてちょっと読みづらかった。。。継続は重要。出来るだけ間を空けないよう心掛けたいところです。

というわけで今回は『デュアルキャリアを考える』の第二弾。米国NCAAなど欧米での学生スポーツ環境に少し触れていきたいと思っているのですが、その前に今回は一般的な日米のキャリア観の違いを書きたいと思います。

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そもそもアスリートの『デュアルキャリア』って、日本的な言い方で言えば『文武両道』ということ。更には『二足のわらじ』とも言い換えられます。こう考えてみると『デュアルキャリア』って何もアスリートに限ったことではないんですね。ただ、新卒一斉採用→終身雇用というのが主流だった日本の社会の中では、『二足のわらじ』も一般的ではなかったのかも知れません。しかしグローバル化が進む社会の中で、日本人の働き方やライフスタイルも大きく変化して来ました。欧米型のキャリア観も浸透して来ている今の時代、『デュアルキャリア』の可能性は誰にだって当てはまるはずです。

僕が米国に留学していた当時、恥ずかしながら衝撃を受けたことのひとつ。それはほとんどの学生が『大学に進学する時点で既にキャリアをスタートさせている』ということ。日本の場合、ほとんどの学生は『とりあえずバイトでもしながら4年間のキャンパスライフをエンジョイする』ために大学に行っているというのが現実だと思います。もちろんこれは個人的な印象であり、日本にも意識の高い学生は過去にも現在にも多く存在していると思います。ただ、正直僕自身も日本で大学に入学した頃は、将来のキャリアなど全くと言っていいほど想像出来ませんでした。これは日米の一般的な企業の採用システムの違いが一因なのではないかと感じています。

日本の場合、学生時代に『何を学んだか』や『何を経験して来たか』が主な評価基準ではなく、『学歴』と『人間性』が重視されること。そして新卒が4月に一斉採用され、学部学科などが全く関係ない企業に就職することも出来るし、全く関係ない部署に配属される可能性もある。更には入社後に企業の中で使える人材にするために給料を与えながら新人研修を行うなど、冷静に考えればかなり過保護なシステムがあるために大学の4年間をキャリアとして捉えることが出来ない学生が多いのではないかと推測します。

一方で米国の場合、新卒の4月一斉採用などはあり得ません。当然終身雇用という概念もほぼありません。基本的に自分でポジションを見つけ雇用契約を取りに行くというのがスタンダード。大学に入る時点でキャリアがスタートしていて、自分の『Resume(履歴書)』を常に上書きしていくというイメージです。その『履歴書』を充実させるために自分のキャリアプランに沿った学部でアカデミックな知識を得て、更にインターンを経験したりする訳です。当然、学生であってもスキルを持っていて、使える人材であれば卒業を待たずに就職する人だっています。学費を自ら工面する学生も多く、働くために休学して、お金を貯めてまた単位を取りに戻って来るなんていうことも日常茶飯事です。つまり自分のキャリアプランの中で必要に応じて大学で学んだり、経験を積んだりするというのが米国のスタイルです。雇用契約にも基本的には期限がついているので、企業としても必要なスキルや経験を持った人材を適宜採用し、血の入れ替えをしていきます。

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よく「日本の大学は入るのは難しいが出るのは簡単。米国の大学は入るのは簡単だが出るのは難しい。」なんて言いますが、これはそもそもの目的意識の問題です。日本の大学の感覚で米国に行ったら出るのは難しいかもしれませんが、大学がキャリアのスタートと考えてる学生にとっては米国の大学も出るのは決して難しい訳ではないと思います。単純に自分のキャリアに必要な勉強をしているだけですからね。

日本の企業はアスリートを活かせるような企業に変えていく必要がある。そうでなければグローバル化する社会の中では勝ち残っていけない。

さて、話題を前回ご紹介したACTジャパン2016に戻しましょう。同フォーラムのシンポジウムでは『コンピテンシー(経験から身についた行動特性で、どんな仕事にも移転可能な力の素養)』と『リテラシー(知識をもとに問題解決にあたる力で、知識の活用力や学び続ける素養)』という話題も出て来ました。シンポジウムに登壇した株式会社経営共創基盤CEO・冨山和彦氏はアスリートの持つ『ポータブルスキル』つまり『コンピテンシー』に触れ、現在の日本の企業はそのポータブルスキルをまだまだ理解しておらず活用出来ていないと言います。アスリートの持つポータブルスキルは過小評価されている部分もあり、例えば『厳しいプレッシャーの中でブレークダウンしない強い精神力』だったり『状況を瞬時に分析する能力』など様々なポータブルスキルがあります。そういった能力を活かせない企業は、グローバル社会の中では勝ち残っていけないというのです。冨山氏の唱える『G型・L型大学』という提言も非常に興味深く、グローバル化する社会だからこそ、地方にもアスリートの持つ『ポータブルスキル』が活かされる場面も増えてくるのではないかと予想出来ます。

さてさて、だいぶデュアルキャリアから話題が逸れてしまいましたね。では今回ここまで語って来たことがどうデュアルキャリアと関わって来るのか?

「メダリストはこうあるべき」という考えが重荷になっていた。

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ACTジャパン2016の基調講演でもサポート役を務めた田中ウルヴェ京氏は日本社会の特徴を『Overgeneralization(過度の一般化)』と表現していました。日本の教育システムには落ちこぼれをつくらず均質的な人間を育てるという基本原理があると思います。社会風土として、未だに”べき論”で語られることは多く、オリンピックメダリストである田中氏ですら、「メダリストはこうあるべき」と、この”べき論”の呪縛に苛まれたと語っていました。しかしそれは日本の教育システムや社会風土がつくり出す空気なだけであって、実際にこれから社会で求められるのは必ずしも型にはまった人間ではないことも明白です。

セカンドキャリア、デュアルキャリア云々ではなく、結局は人生を通した自分のキャリアプランをどう描くことが出来るか。それに尽きると思います。トップアスリートを目指す学生、そしてトップアスリートとして活躍する方々には、「続けていれば生活が出来るから」とか「他にやりたいことがないから」というモチベーションではなくて、競技に真剣に取り組むことが自らの『履歴書』の上書きに繋がるようなキャリアプランを描いてほしいと願っています。

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